意識のセンタリング

朝青龍の引退。

「相撲」という、ある種スポーツの枠では収まらない、
というよりむしろ大きく次元を異にする文化性を持つこの世界。
見えないことが多すぎるし、ジャッジすることでもないとは思う。

ただ…何かやるせな〜く残ってしまった自分の感覚を、
今回はするっと流さない方がいいのかもしれないなと思った。

こういう形で土俵を離れることになって…の質問に…
「自分にとっての運命のように思う…」と
言葉にすがりつくように応えた。

「運命」という言葉が何か違和感をのせて響いてくる。
やさしいベールとなって奥にある感情を包んでいるように
読めてしまうのに時間はかからない。
このところの、怒濤のような排斥エネルギーは、恐怖感すら感じさせるものだった。
「誰」という風に特定できない集合的なものだからこそ怖かったりする。。

今回に限らず、連日の報道で露出度の高いトピックス…そういった
「風潮」とか「流行」といった現象も、集合エネルギーのひとつに思えるわけで…

だからそこには、知らず知らずに「私」も含まれてるかもしれないんだ。
もちろん、楽しいひろがりもいっぱいあるし、
いつも否定的なマイナスな方向ばかりじゃない。

でもそこには計り知れないチカラが渦のように集まってしまうわけです。
テレビの報道を単に見ているだけのことが、意図せず
排斥エネルギーに油を注いでしまうような、不本意にもスケープゴートを
追いつめる、「加担」してしまう気もするわけです。

そこに違和感を持つのだったら、やっぱり見ない方がいいんだよね。
自分側の意識にマイナスが入ってくるのを避けるのみならず、
不用意に自分が発散してしまうこをも防げるから。

メディアって、いつも悪役。でもそれを抱いているのも私たちだからね。

報道には大事なこともたくさんあると思う…だから私は
何もかも見ないという選択はしないけれど…
たまにはニュース断食したり,取捨選択は常に大事だなと、あらためて思うのでした。
見極めて、意識をセンタリングしていかなくちゃね。

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