屈曲 回内 回外 外旋
2010.8.12 |
昨日はたくさん、首を左右に動かしていたyaman…
今日のお昼過ぎ…脳波を調べている間に、病室内で遠くから見ていたら…
ぐぐぐぐ…と持ち上げた。右腕!
(肩の)屈曲30度くらい。 わ、わ、!
夕刻には、左手をゆーっくりと回内し始めたので慌てて、
「すごいじゃない! 指、握ってみて!」と言ったら、私の小指を握りしめた。
同時に今度は、反対側の右前腕回外しながら、持ち上げた(つまり外旋も)
ものすごい感動でした。
2010.8.12 evening |
でもね、どれも、看護婦さんとお医者さんがいない時なの。
なぜだ〜 ( ̄▽+ ̄*)
お世話になっているK病院は、主治医の先生も、看護士さんも、
本当にみんな凄い、そして心からという意味でやさしい。
技術もさることながら、患者やその家族へのこころからの対応など、とても学びの深さがわかるよ。
西洋医学の最高峰をまそばで見てる感じ。素晴らしいです。☆感謝☆
昨日からの気づき。。。
病気をする=学びが足りない というとんでもない思い込みにまみれていたのではないかと…ふと思った。もちろん闘病生活を送っている人にそんな気持ちを抱いたことは誓って一瞬もない。
けれど、魂の成長を意図して学んでいるし、善良で、人への思いやりも人一倍ある、そんな人に不幸が訪れるはずが無い、つまり「病気=不幸」というおそれが、…無意識のうちに強くあったのではないかと思う。だから、あり得ないことと思った。他人事のように感じてた。なぜなぜなぜ…しか出て来ない。。。これは今でもあるけどね…
もちろんこころとからだはつながっているから、因子のほとんどはもちろんメンタルな由だとは思う、けれど、私の課題は、そこに善し悪しをつけてしまいがちなところ…。さらには、今生だけの因子でもないわけで…頭でわかっているつもりでも、ふと気づくと、目の前のことにとらわれが出て来る。
yamanも、どれほど心労があったことでしょう。 何も悪い事していないのに、なぜこんな辛い思いをしなくてはならないのか…。なんて理不尽なんだと…そんな思いもあったよ。
でもやっぱり、訪れる事は受け入れていくんだ。生きている限り。。。
これでいいのか、わるいのか…だれもわからない。 そうなのか。
私がもっと早く彼の思いに気づいていれば…応えていれば… 自分を責めないようにはしているけれど、もしかしたら、その思いはこれから一生、解消できないかもしれないね。 自分を責めないとは… 気づけなかった、できなかった自分を受け入れるということのように思う。。。ごめんね、あなた。
そして私がそれを全部引き受けられる=「私がこの人に起こることはすべて私の責任」みたいな思い上がり、超越エゴを手放すことでもあるんだね。
今日もできるかぎり明るく一瞬を大事に、過ごしてい。こう。。
今度はいったい何を見せてくれんだ〜?! ≧(´▽`)≦
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